4月1週目 : 勉強不足と時間

 入社して一週間が経ちました。自分の生活、仕事、勉強のリズムをきちんと習慣として組み立てることを心がけています。焦らず、ゆっくりと生活の土台を築いていきたいです。一週間を少しだけ振り返ってみます。

勉強不足の実感

 今週は自分の勉強不足を実感する一週間でした。どういう時にそれを実感するのかというと、同期や上司と話す時です。「◯◯大学でこれだけ勉強したんだよ」、「TOEIC◯◯点です」、「仕事をしながら自分を磨き続けたい」などの言葉を聞く時。そういう時に、「あぁ、自分はまだまだだなぁ」と感じます。「だから、がんばろう」と思えているので、それでよしとしています。しかし、よく考えれば、他人の表面的な言葉に流されているだけとも言えます。それは危険なことでもあると感じます。

勉強するために残された時間 

 だから、私は周囲に流されて舞い上がったり、落ち込んだりせず、自分なりに勉強を続けたいと考えています。そこで、あることに気がつきました。それは、「もう学生の時のように勉強できない」ということです。仕事とは別に勉強できる機会は、本当に限られています。せいぜい月に80時間ぐらいでしょうか。年齢と学習能力の問題もあります。

 学べることは限られている。「あれもこれも学びたい」と思うけれど、もう自分の学びたいことを全部学べるわけではない。いろいろなことを諦めないといけません。それは、とても辛く悲しいことです。同時に、自分に残された80時間をどう使うのか、真剣に考えたいと思うのです。この80時間をどのように守り、どのように使っていくのか。今は、自分の専門の勉強と、語学の勉強に多くの時間を使っています。  

焦らない、焦らない。100年後のことを考える。

 そういうことばかり考えていると、とても焦る気持ちが出てきます。気持ちがあせる時、私はよく100年後のことを考えます。100年後。今、生きている人はほぼ、誰も生きていない。

 そう考えると、私達がこの世で生きる時間は本当に短い。私の短い人生はすぐに消えてしまう儚いもの。「あの人は優れている/劣っている」という小さな比較にいつも流されてしまうけれど、本当に大事なことのみを見つめながら、生きていたい。いずれ来る終わりの時に備えて、今日を誠実に生きたいと願っています。

 

「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」(イザヤ:40:6-8)

3月を振り返って

 4月が始まりましたね。3月の終わりに東京に引っ越してきましたが、 まだ肌寒いです。環境の変化もあり、3月はとても大変でした。修士論文の提出、学会発表、引っ越し。それに風邪を引きました。3月を振り返って「気をつけたいな」と思ったことを数点書いておきます。

お金の管理の問題

 今まで、何にいくら使ったのか、大雑把でも記録して、収支を管理する習慣がありませんでした。しかし、それでは、引っ越しや学会費用の先払いなどで、手元の現金があっという間になくなり、後悔と混乱をすることがありました。大まかでも収支を管理する習慣づくりが必要だなぁ。さて、どうしたものか。

体調管理の問題

 学会が終わった後、はしゃぎ過ぎて体を冷やし、風邪をひきました。それを悪化させ、とても大変でした。普段の体調管理の大事さをとてもとても痛感。次のことを普段からきちんとやりたいですね。

  • うがいと手洗い(できたら鼻うがいも)
  • 部屋や身体に触れるもの清潔さを保つ。(バスタオルやハンドタオルの清潔さを保つ)
  • 睡眠は必ずきちんと取る。
  • 体を冷やさないこと。

 当たり前のことかもしれませんが、もういちどきちんと習慣にしたいです。あと、風邪の時は、食欲がなくても、季節のフルーツは口当たりがよく、食べやすいです。

 私の体も天から授かったもの、たいせつにお手入れしたいですね。結城浩さんの借りてきたお茶碗の話を読み、改めてそう思いました。

心の習慣の問題

 日記を見返すと、負の感情に拘る癖があるようです。他人のことを羨ましがったり、グジグジ悩んだり、悲しんだり。もちろん、負の感情は誰にでもあるもの。しかし、日々の小さなことでそれに拘っていては生活がすすみませんよね。感情に負けたり、拘ったりすることなく、日々のすべきことを成し遂げていけますように。祈りつつ、自分のできることをやっていきましょう。

事務手続きのミスの問題

 提出したはずの書類が「提出されていないよー」ということを何度も経験しました。引っ越し後、所属していた大学院に提出するものを忘れていたり、大変でした。

 原因は、とても簡単なミス。個人情報の登録を間違った。留守番電話のメッセージを聞いていなかった。メールを確認できていなかった。などなど。どこかで振り返る仕組みがあれば防げるものですよね。

 人は誰でもミスをする。「ミスを恐れすぎる」のも駄目だけれど、「どうすればミスを防げるか」という問題意識の大切さを実感しました。そして、意志ややる気に頼らない、ミスのチェックの仕組みをちゃんと作りたいと感じています。さて、どうしましょうか。

聖書を読めなかった

 私はキリスト者なのですが、3月は聖書をほぼ読めませんでした。手持ちの聖書を友人に挙げたので、手元に聖書がない状態でした。本当は、すぐに購入するべきなのですが、初任給まで手元の生活費がもつかわからず、購入していません。不安な日が続いています。必要なものが与えられますように。

読んだ本

柚木麻子さんの『伊藤くん A to E』という小説を読みました。「クズケン」という登場人物が次のように話す場面がとても印象にのこりました。

「テーブルには汚れた皿がいっぱい。厨房も洗い物でいっぱい。入店した客を通そうにも、出す皿もないし、どの席にも案内できない。完全なる飽和状態。でも、その崩壊を立て直す方法っつうのが、たった一枚の皿を洗うことだったりする。一枚の皿を洗うことで停止していた歯車がゆっくりだけど、回り出すんですよね・・・」

 途方に暮れるほど大きな問題。 でも、とりあえず「一枚の皿を洗う」こと。問題にぶつかった時、自分の中に「一枚の皿を洗う」ことに該当するものがあればよいなと思いました。

 私の場合、現在は、メモ帳に気持ちを箇条書きにすることです。「もうだめだ!」とか「おしまいだ!」とか、「なんで自分は◯◯◯◯。」と書いてしまうこと。もちろん、何も問題は解決しないけれど、とりあえず、もう出なくなるまで書くことにしています。あなたにとって「一枚の皿を洗う」に該当することはなんですか?

終わりに

 3月は体調管理、自己管理の大切さを痛感しました。しばらくは、健康的な生活を意識的につくりなおす必要があります。そして4月からは仕事が始まります。不安と緊張を感じています。でも、最初の一歩はとても大切。気を引き締めていきたいですね。どのような場であっても、いつも主の下で歩むことができますように。みなさまにとってもよい4月となりますように。