5月2週目:要平常

 今週はとても疲れてしまいました。ただ忙しかっただけではなく。自分の勉強不足を感じることが多くあり、それに対して誠実な対応ができなかったことも原因だと思います。私の場合、疲労が溜まると不安や自己嫌悪が強くなるようです。今週の後半はとくに不安でいっぱいでした。
 疲れ果てて立ち上がれないとき、困難に立ち向かえない時、どうすればいいのでしょうか。私はとりあえず「努めていつも通りに振る舞う」という態度をとることにしています。いつも通り神様に祈り、感謝し。いつもの時間に食事をし。お風呂に入り。一日を振り返り。少し勉強をして寝る。
 たしかに、疲れた時は、倒れるように寝ることがあります。開放感からお酒やおいしいものを食べにいく時もあります。そのことで癒されることも多いです。しかし、自分の欲に従うことが、必ずしも疲れを癒すことにならないかもなぁと感じることも多くあります。たとえば、自分の好きな本を夢中で読んでいるつもりで、猫背になってしまい背中や腰が痛くなるとき。辛いときに、感情のはけ口としてメモ帳に自分の思いを書いていて睡眠時間がなくなるとき。よかれと思っていることでも自分を害していることが私にはあります。
 だから、努めて目前の欲に流されないときも必要だとおもいます。だけど、自分が弱っているときに自分の欲と闘うのはとても難しい。私は普段から「弱っているとき」をみつめて準備をしたいと思っています。疲れていても、頭が働かなくても、努力ができなくても、いつも通り神様に祈って生きていられるように。
 もちろん先のことはわからないし、準備が役に立たないことも多いです。それでも、いつでもよい準備状態でいられるように祈りたいとおもいます。今、疲れて立ち上がれないあなたに神様の祝福がありますように、祈っています。

5月1週目: 小さなことに忠実に

 主の御名を賛美します。皆様いかがお過ごしですか。

 私は今週を実家で過ごしました。いつもと違う場所で数日過ごすことは、自分を見直すきっかになりますね。たとえば、私は4月に自分なりの生活習慣を作ったのですが、帰省するとその生活習慣は崩れてしまいました。やはり自分は怠け者ですね。とほほ。

 あまり仕事や勉強はできませんでした。しかし、友人や教会の仲間と会い、本を読むことができました。試してみたい新しいアイディアも思いつきました。一つ例を紹介しましょう。アヒルのおもちゃに相談するというものです。

 皆さんは、自分の問題を人に説明する途中で、解決策を思いつくことはないでしょうか。人に説明することで自分の頭が整理されることは私もよくあります。それをうまく利用するのが、“Rubber Duck Debugging”という方法です。具体的には以下のような手順を取ります。

1. アヒルを用意します。
2. アヒルを机の上に置きます。アヒルに自分の現在の作業について知らせます。
3. 作業を終えたら、アヒルに終えた作業の目的と詳細を説明します。
4. 疑問点などは随時、アヒルに報告します。

 以上が"Rubber Duck Debugging"です。私の場合は、全ての仕事でこれをするのではなく、まずは小さな範囲で試そうと思っています。

 ただ、大きな問題は、職場でのハードルが高いということです。私が職場で突然アヒルに話しかけると、頭がイカれたのかと疑われる可能性があります。これをどう乗り越えましょうか。今後の課題とします。

 ちなみに、下の写真は私が購入したアヒルです。「レモン」という名前にしました。色気のある顔なので雌だと思います。とてもあほっぽいですが、楽しみながら小さな工夫をしてみたいと思います。来週も、自分の仕事に誠実に向き合えるよう、祈りつつ。

小さい事(最も小さい事)に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。*1

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*1:ルカ16:10

4月を振り返って

実家に帰省しました。実家への帰り道、ふと立ち止まって星を見上げました。実家周囲には田んぼしかなく、星がとても綺麗に見えます。星をみたのはずいぶん久しぶりのように感じました。星の位置も最後に見た時から変わっています。もう4月は終わり5月ですものね。皆さんはどんな4月を過ごされましたか。

早寝、早起き、ふりかえり。

4月中はきちりとした生活をするように心がけました。3月の終わりに大きな風邪を引き、「もうこんな辛いのは二度と嫌だ!」と思ったからです。

今は、朝4時に起きて夜9時に寝ています。あと、自分のことをよく振り返るようにしています。「今日はどんなことがあっただろう?」と寝る前に振り返ってメモを取っています。

朝早く起きるようにし、その時間で勉強をするようにしました。また、夜早く寝ることで、憂鬱さがマシになった気がします。特に大学・大学院時代は不規則な生活で余計なことに苦しみました。なので、これはとても大きな変化です。

しかしながら、まだ会社で残業をしていないので、この生活ができているのです。残業をするようになると、この生活は維持できなくなります。5月はそのことに備えたいと思います。できるだけ「早寝、早起き、ふりかえり。」を続けられる余裕を持てますように。

日々、自分の果たすべきことに誠実に向き合えるように祈りつつ。

4月4週目 : 教会の思い出 :「弾いてみた」動画

こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。こちらは、今週前半は少し寒かったのですが、今日は随分と暖かいです。

 ゴールデンウィークは地元に帰省をします。久しぶりに地元の教会にもうかがおうと思っています。とても楽しみで、教会について思いを巡らしていました。すると、ふっと教会でのある出来事を思い出しました。今日は、その思い出を書こうと思います。本当になんてことないものです。    私の通っていた教会では、中学生・高校生が何人かいました。ある日、その中の一人が「ギターやりたいんです!」と言って、私にyoutubeの動画をみせてくれました。それは、いわゆる『弾いてみた』という動画の一つでした。アニメソングをギターで弾いている動画です。投稿主は無口ちゃんという方です。動画を観て、私も「わぁ、かっこいいなぁ」としばらく聴き入りました。私もギターを始めたくなりました。

 無口ちゃんのブログも教えてもらい、拝読。とくに、『ギターを始めたきっかけ』という投稿が印象に残りました。

そして上手くなるにはとにかく好きでいること

好きでいれば下手でもずっとやり続けられるからです。 自分は今でもまだまだ下手だけど、とにかくギターが好きだからやめる気になんてなれないですし、毎日ちょっとでも練習しようと思います^^

 本当にそうですよね。ギター、がんばってほしいなぁと思います。月曜日に帰省します。みんなはどうしているでしょうか。会えるのが楽しみです。

4月3週目 : そろり。そろり。小さな一歩を。

 4月の下旬、 花粉症の症状が悪化しています。今年は鼻うがいをするようになったので、少しマシになりました。今日も、1週間を振り返ってみます。

 仕事では、全体研修が終わって部門仮配属になりました。現在は、配属先で研修中に取り組んでます。新人の私には電話応対が任されています。ただ、この電話応対は1コール以内で対応しなければ、先輩が出てしまいます。臆病な私は、コールがなっても手が伸びず、電話に出ることができません。悔しいなぁ。電話対応のような基本的なことも訓練しないといけませんね。

 この1週間は「早く成長しなければ」と気持がすごく焦っていました。原因はともかく、私はよく焦ります。私が焦る時、二つのパターンがあるように思います。

  • パターン1: 結果を急ぎ、自分の選択肢を狭めて、自滅する
  • パターン2: 結果を急ぎ、余計な仕事を増やして、自滅する

 パターン1は、たとえば、「結果を出せない!もうダメだ」と諦めてしまったり、「結果を出すにはこれが最短に違いない。他は全部間違いだ!」など。他の方法・やり方が目に入らなくなることです。

 パターン2は、たとえば、 本当はAだけをやればいいのに、「次はBだ」「Cもやったほうがいいのでは?」「そのためにはDも」などと、雪だるま式にやることを増やすことです。結局、全てが中途半端に終わることが多いのです。

 大学院で同じ問題に直面した時、 私は作業記録を取ることにしていました。作業記録の内容は次のようなものです。

 1日分の作業記録を、"日付.txt” などの一つのファイルで管理します。中身には、 「今日やること」、「時系列」、「今日のまとめ」の項目を作りました。「今日やること」の中に1日の目標を箇条書きします。「時系列」にはだいたい30分毎に現在の作業を書きます。「今日のまとめ」には自分ができたことと、できなかったことを箇条書きにします。以下に例を示します。

# 今日やること
* スライドの作成
* エラー解析に取り組む

# 時系列
* 13:20:スライドの準備をしています。
* 13:24:結果のスライドを作りました。
* 13:54:最低限のスライドを作り終えました。ここから足りない分を補っていきましょう。
* 14:06:実験のデータにトライアルデータを足してみました。

# 今日のまとめ
できたこと
* 発表用スライドを作成しました.
* 実験設定の微調整をしました.

できなかったこと
* エラー解析

 日中は「時系列」を数十分毎に書き加え、寝る前に「今日のまとめ」を書いていました。

 作業記録をとる利点は、区切りを意識できることです。「この1日はこれだけをやればよい」、「この30分はこれをやった」など。すべきことと、そうでないことを分けて境界線を引く。そうすることで間違いも見つけやすくなります。何か問題が生じた時、直前の作業が間違っていたのか、1日の目標が間違っていたのか、検討する場所が明確になるからです。

 この作業記録で自分の仕事を振り返ることもできます。「時系列」は数十分毎の振返り。「今日のまとめ」は1日毎の振返り。なんども振り返って小さな一歩を繰り返す。子どもがはじめて幼稚園に行く時に、何度もお母さんの方を振り返るように。その時はわからなくても、後から振り返って、間違いに気がつけることがあります。

 もちろん、これだけで私の焦り癖が解決するわけではありません。やっぱり焦ることは多いです。また、この方法では、自分が気がつかない間違いは修正できません。うーん。難しいなぁ。まだまだ課題は多いです。

ゆっくり。ゆっくり。だけど止まらず。焦らずに進んでいきましょうね。

主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

(ルカによる福音書10章38~42)

4月2週目 : Celebrate your failures!

だいぶ暖かくなりました。外を歩くと桜の花びらがひらひらと舞っています。桜の花びらを見ると、私は「桜の雨」という合唱曲を思い出します。大好きな合唱曲の一つです。桜の雨を眺めながら一週間を振り返ります。

「主体性」と「相手の立場に立つ」

今週から本格的に研修が始まりました。敬語の使い方、報連相の大事さ、メールの書き方、お辞儀の仕方、議事録の書き方。一つ一つ形が決まっていることを学びます。私が実際にやると、ぎこちなく不自然で、できの悪いロボットのようになります。うーん。何度も練習して慣れる必要がありますね。

研修中に一つ気になることがありました。それは、講師が何度も繰り返した「主体的になりなさい」という言葉と「相手の立場に立って考えなさい」という言葉です。

本当はどうしたい?

私はそれを聞いて「う〜ん。なんだかなぁ。」と思いました。ひねくれものの私は、このような言葉に屁理屈を言いたくなります。「主体的になれ!と言われて主体的になろうとするなんて、受け身じゃないか!」とか。

ところで、自分が「◯◯すべきだ」「◯◯ねばならない」と言って理屈や論理をたてようとする時、私は次のように自問します。「本当は何がしたいんだろうね?」「ねぇ、君はどうしたいと思っているの?」

失敗したらどうしよう?

講師の言うことは理解できます。仕事の問題は待っていても解決しない。自分がいくら熱心に努力をしても、相手に理解されないこともある。だから、主体性や相手の立場に立つことは大切なことです。そもそも研修で学ぶのはお作法で、それに文句をつけても仕方がありません。

それでも屁理屈を言いたくなるのは、私の中にこだわりがあるのかもしれません。たとえば、恐れ。「自分から動いて失敗したら怖いなぁ。目も当てられない。努力が無駄になるのは嫌だ。」と思っている。理屈をつければ、頭の中で完結して失敗することもありません。

「相手の立場に立つ」という言葉に反論するのも同じかもしれません。それは自分の頭の中だけで完結しません。自分の仕事が本当に相手の立場に立っているのか。それは、相手に尋ねなければわかりません。自分は「正しい」と思ったけれど、相手に尋ねると見当違いだったりすることもあるでしょう。私にとって「努力は無駄だった」という無力感は恐ろしいものです。

Celebrate your faliures failures!

どちらの場合も私は失敗を恐れているのでしょう。別に死ぬわけでもないのに。我ながら肝の玉が小さいですね。でも「違った考え方もできるかもしれない」と思うことがありました。

先週の日曜日、私は久しぶりに座禅に行きました。指南役の住職が懇親会でこうおっしゃりました。「一生懸命やると良いことは、自分の間違いがわかることですね。間違って一生懸命やると体を痛めますよ。そうすると明確に「これじゃ駄目なんだ!」とわかるでしょう。」

住職は、一生懸命やると、「成功する」とか「成長する」ではなく、「自分の間違いがわかる」と言います。私も本当にそうだと思います。そもそも、普段の生活できちんと失敗する機会ってあまりないですよね。少なくとも私は失敗しても、正当化したりごまかしたりすることがよくあります。きちんと失敗して間違いに気がつくこと。私はそれを喜べるようになりたいのです。

それに、失敗しても神様の愛は変わるわけではありませんし。ちょっと重い腰をあげて、失敗してみましょうかね。

私はこう確信しています。死もいのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ8:38−39)

4月1週目 : 勉強不足と時間

 入社して一週間が経ちました。自分の生活、仕事、勉強のリズムをきちんと習慣として組み立てることを心がけています。焦らず、ゆっくりと生活の土台を築いていきたいです。一週間を少しだけ振り返ってみます。

勉強不足の実感

 今週は自分の勉強不足を実感する一週間でした。どういう時にそれを実感するのかというと、同期や上司と話す時です。「◯◯大学でこれだけ勉強したんだよ」、「TOEIC◯◯点です」、「仕事をしながら自分を磨き続けたい」などの言葉を聞く時。そういう時に、「あぁ、自分はまだまだだなぁ」と感じます。「だから、がんばろう」と思えているので、それでよしとしています。しかし、よく考えれば、他人の表面的な言葉に流されているだけとも言えます。それは危険なことでもあると感じます。

勉強するために残された時間 

 だから、私は周囲に流されて舞い上がったり、落ち込んだりせず、自分なりに勉強を続けたいと考えています。そこで、あることに気がつきました。それは、「もう学生の時のように勉強できない」ということです。仕事とは別に勉強できる機会は、本当に限られています。せいぜい月に80時間ぐらいでしょうか。年齢と学習能力の問題もあります。

 学べることは限られている。「あれもこれも学びたい」と思うけれど、もう自分の学びたいことを全部学べるわけではない。いろいろなことを諦めないといけません。それは、とても辛く悲しいことです。同時に、自分に残された80時間をどう使うのか、真剣に考えたいと思うのです。この80時間をどのように守り、どのように使っていくのか。今は、自分の専門の勉強と、語学の勉強に多くの時間を使っています。  

焦らない、焦らない。100年後のことを考える。

 そういうことばかり考えていると、とても焦る気持ちが出てきます。気持ちがあせる時、私はよく100年後のことを考えます。100年後。今、生きている人はほぼ、誰も生きていない。

 そう考えると、私達がこの世で生きる時間は本当に短い。私の短い人生はすぐに消えてしまう儚いもの。「あの人は優れている/劣っている」という小さな比較にいつも流されてしまうけれど、本当に大事なことのみを見つめながら、生きていたい。いずれ来る終わりの時に備えて、今日を誠実に生きたいと願っています。

 

「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」(イザヤ:40:6-8)