8月5週目:ダンスを踊るように
週末から急に寒くなってきました。少し夏が名残惜しいですが、もう秋なのですね。今週は、毎朝、教会に行ってから会社に行きました。教会での祈りをもって一日を始められるのは、私にとってとても喜ばしいことです。現在は、残業がほとんどないので朝早く起きられるのですが、残業をしてからもこの生活習慣を続けたいなぁ。
教会は、会社から電車で10分ほどのところにあります。いつもは、朝ごはんを会社付近のカフェで食べていました。しかし今週は、教会の最寄り駅にあるおむすび屋さんでおにぎりを食べてみました。コンビニのおにぎりと違って目の前で握ったものをそのまま出してくれます。また、一つのおにぎりが大きくて満腹感があります。主観ですが、コンビニのおにぎりよりも美味しく感じます。
朝からおにぎりを食べるのは、いいのかもしれませんね。少しづつ少しづつ習慣を作っていきましょう。朝早く起きて、祈って、朝ごはんを食べて、勉強して、仕事をする。リズムを刻むように、ダンスを踊るように、規則正しい生活を送りましょう。
8月4週目: 種まき
『わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。』 コリント人への第一の手紙3章1~9節
8月2週目,3週目: 遣えて生きる?
8月も、もう下旬。昼はまだまだ暑いけれど夜はすっかり涼しくなりました。もう秋が近いのですね。
先週から会社は夏休みです。私は、実家に帰省し、地元の友人や家族に会うことができました。久しぶりに彼らと話をする中で、以前はあまり気にならなかったことが気になりました。
それは、 「自分のできることは限られているなぁ」ということです。 というのも、友人達や家族ががんばっている話を聞きとても励まされた一方で、彼らの悩みも聞きました。その悩みを聞いて、「自分が彼らのためにできることはとても限られているなぁ」と感じました。
勉強や研究を代わってあげることはできないし。代りに年老いてあげることもできません。 複雑な人間関係や長年の習慣や性格を変えるには長い時間がかかりそうです。自分の人生さえ侭ならないように私には思えるのに。人が抱える問題を私が解決できるなどと、おこがましいかもしれません。
それでも、人を愛し人に遣えて生きるキリスト教徒の生き方とは、どのようなものなのでしょうか。まだ答えがわからず、もやもやとしています。
願わくば、来週も一つ一つ誠実に役割を果たしていけるように。皆様の上にも、豊かな神様の祝福がありますように。
8月1週目:馬鹿みたいに小さな一歩から。
7月、新しいプログラミング言語や数学の勉強を始めようとしたのですが・・・。 結局、怠けて辞めてしまいました。とほほ。
今振り返ってみれば、その原因は、目標を高く設定しすぎたり、必要ないことを学ぼうとしたことです。もしも「これって本当に必要かな?」と考えていれば、今回の失敗は防げたかもしれませんね。 「勉強」や「成長」という言葉に対して疑問を抱かない癖が、自分にはあるのかもしれません。
新しいことを始める時、「なぜそんなことをするんだろう?」と自分に問いかけるのは悪いことではない気がします。たとえ、それが自分にとって「最善だ!」と信じていることであっても。(自分にダメ出しする必要もないけれど)
勉強の目的って何でしょうね?私の場合、キリスト教徒になってから、自分のために特別なことをする必要はないんだなと思うようになりました。自分の「成長」のために、自分の「幸せ」のために、自分の「楽しみ」のために、自分が「何者か」になろうとしなくてもよい。そう思うと、以前よりも勉強が楽しくなった気がします。
だから、高い目標を持ってしんどくなるのも辞めましょう。 その代わり、新しいことを始めようとする時は、馬鹿みたいに小さな一歩から始めよう。ほんとに笑っちゃうぐらい小さなことから。周り道をしたり、いつもとは違う順序で作業をしてみたり。高い目標だけをみつめるのではなく、 馬鹿みたいに小さなことを、楽しんで続けてみよう。
さぁ、今月も馬鹿みたいに小さな一歩を踏み出すぞー。わははは!
7月4週目: たのしい音声入力
今週、はじめてスマホの音声入力を使いました。思ったよりもずっと高い精度で入力されており、手早く文章を書けることに驚きました。長文だと、キーボード入力より早く文章を書けますね。誤変換を修正する手間を考えると、文章を書く時間はそんなに減らないのですが。それでも、音声入力は「書き始める」手間を省いてくれます。
文章を書くために最も重要なのは、「とにかく書き始める」ことです。
ところが、スタートさせるのは、容易なことではありません。書き始めようとしても、非常に大きな慣性が働くのです。ニュートンの慣性の法則は、「止まっている物体を動かすには、力が必要」と言っていますが、それと同じことです。
しかし、音声入力を用いると、この関門を突破することができます。つまり、「出発」することが簡単にできます。なぜなら、思いついたことをしゃべるだけで文章が出てくるからです。(野口悠紀雄、『話すだけで書ける究極の文章法』)
布団の中で寝転がりながら、歩きながら文章を書けるのは、とても楽ですね。それにしても、話した言葉が文章になるのはとても楽しい。ゲーテやカエサルが行った口述筆記は楽しかったんだろうなぁ。私の場合、特に、祈りの言葉が文字になるのは楽しい。後から自分の祈ったことを見直すことができるのはとてもよい振返りになっています。
7月3週目 : わかりやすい文章とキリスト教信仰
時間は命です。著者は自分の命を使って、少しでも正確で読みやすい文章を作り、読者に届けるのが仕事です。対価をいただくのを恥じることはない。大事なのは、読者の時間を節約できたかという点である。それは(劣化コピーであるけれど)キリストの十字架と同じだ。相手の命(時間)を救っている。
— 結城浩 (@hyuki) 2014年5月26日
7月2週目 : 「わかったつもり」と効率
仕事で技術文書を読むときの話。仕事で読む技術文書はよく整理されており、その技術の本質が掴めることも多い。一方で「わかったつもり」になることがある。
「わかったつもり」とは技術を言葉だけで説明して満足すること。例えば、「これって結局、◯◯ってことでしょ?」「◯◯が本質なんでしょ?」とか。効率や成果を求めるなら、「わかったつもり」は避けられない。しかし、それだけで誠実な仕事ができるだろうか。私にはよくわからず迷っている。ただ、自分にできることとできないことを明確に区別したい。
どうすれば、「わかったつもり」を避けられるだろう。対策として一つのことを時間を気にせず納得いくまで学んでみようと考えている。たとえば、あるアルゴリズムを実際に実装して、数学的な背景をきちんと理解する。とても時間がかかるしそんなことで、仕事に影響はないだろう。それでも、「わかったつもり」を避けることはできないだろうか。ヒントだけでもつかめないだろうか。
そう考えて、7月はEMアルゴリズムというアルゴリズムを勉強しなおしている。地道に一歩づつ、一歩づつ。ただ、自分のなすべきことをなせますように。主が、私の傲慢や思い上がりを打ち砕いてくださいますように。