10月4週目:日曜日の防波堤

 今週も、一週間を無事に終わることができそうです。ほぼ毎朝、教会に行くことができ、うれしく思っています。仕事の方は、ますます緊張を覚えることが多くなりました。こういう時にがんばる一方では、疲れてしまいますよね。上手に体の力を抜けるとよいなぁと思います。  

 力を抜くと言えば、先週の日曜日は、教会で「休む」ことについて話を聞きました。キリスト教では、日曜日のことを「安息日」と呼んでいます。お仕事の手をとめて、神さまを賛美する日です。その「安息日」という言葉の意味について、礼拝で牧師がお話をしました。話の本筋ではないのですが、私は、「生産性」という言葉に興味をもちました。

 普通、仕事では結果を出すことが求められます。たとえば、一台でも多く車を売ったり、一人でも多くのお客さんに満足してもらったり。仕事では、そういうことが求められます。結果を出すために「生産性」の向上が大切です。「生産性」とは、単位時間あたりに出力する結果のことですね。

 しかし、「生産性」が高いことで「自分がすごい」とはなりません。また、「生産性」が低いことで「自分はダメな人間だ」ともなりません。そうなるためには、「生産性が人間のすごさ/駄目さの規準」という前提が必要です。しかし、この前提は、そんなに自明ではありません。

 少なくとも、キリスト教徒は、「生産性に関わらず、神さまが自分を愛してくださる」と信じていると思います。実は、私は、「仕事が出来る人や頭がいい人がエライ!」という価値観に流されやすいのです。しかし、そういう価値観は、信仰とは関係のない私の癖のようなものです。

 自分に、そういう癖があるのは、しかたないですよね。むしろ、それを自覚した上で、きちんとケアする必要があります。たとえば、一週間に一日ぐらい、何もせずにぼーっとする。仕事のことを忘れて、神さまを賛美する。そうすることで、「生産性」という規準に自己評価を委ねないようにする。それは、休んではいるけれど、自分の癖と闘う為の工夫です。「安息日」には、そういう防波堤のような役割もあるのかもしれませんね。

 あなたは、どうですか。疲れていないでしょうか。たまには、一日ぼーっとするのもよいものです。かなり勇気がいりますけれど。どうぞ、必要な時に立ち止まる勇気が与えられますように。神さまの祝福があなたにありますように。覚えて祈っていますね。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ11:28〜30)