仕事の量を減らす工夫

 涼しくなり、過ごしやすい季節になってきました。いかがお過ごしでしょうか。

 

 仕事を始めて5年が過ぎました。ここまで仕事が守られたことを感謝したいと思います。ただ、仕事の量が増えて溢れて同僚に迷惑をかけることもありました。なので最近は、仕事の量を減らす工夫しています。

 

 最近、仕事を減らすために、自分にとって良い習慣は2つあると気がつきました。1つ目は、朝起きたら陽の光を浴びること。2つ目は、1日の仕事の計画を立てることです。朝、教会に行って祈る日は、これらのことがやりやすいように思います。

 

 特に、1日の仕事の計画を立てることは、今まで試したことがありませんでした。しかし、1日の仕事の全体像を把握し、できるだけ少ない手間で終えようと考えることは効果があり、かつ楽しいと思います。

 

 仕事は油断すると増えていくように思います。余計な仕事を減らさないように、工夫を続けていきたいと思います。

4月1週目:ダイヤモンドより貴重な時間

 こんにちは。東京は、最近、暖かくなりました。今週は、一日だけですが、朝から教会に行きました。朝に教会に行くことで、とてもありがたいことは、時間が与えられることです。朝にゆっくり祈って準備する時間は、私にとって、ダイヤモンドよりも貴重です。

 教会では、4月29日に、教会で中学生達に聖書の話をすることになりました。私が話すのは、旧約聖書の創世記の内容です。その内容は、ヤコブエサウという二人の兄弟の話です。今週は、その話を、中学生にどう伝えるのか考えていました。

 自分の経験を整理したり、聖書の解説書を読んだりします。焦らず、焦らず、本当に大切なことだけを伝えられるように、祈っています。

3月2週目:伝えることと本を読むこと

 今週は、暖かい日が多かったです。もう春が近いですね。同時に、花粉症の症状がひどくなりました。今週の水曜日に、鼻水に耐え切れずに「アレグラFX」という薬を購入しました。服用しても眠くならずに症状が治まり、とても助かっています。

 今週は、仕事以外の時間では、教会学校で教える内容を準備をしました。教会学校では、毎週担当の先生が、聖書の中にある十数節程度を中学生に解説します。

 解説の準備をしていて、同じ本の特定の箇所にこんなに長い間立ち止まるのは初めてだと感じました。「自分だけが理解できればいい」という読み方だと、こんなにじっくり読まなかったかもしれませんね。

 いったい中学生とどう付き合っていけばいいのか。よくわからないなりに、試行錯誤しています。その一環で、子育のことを調べようと思い、『愛着障害』という本を読みました。幼少期の親と関係が子どもに与える影響について書いた本でした。中学生達にとって教会での人間関係が「安全基地」のように機能するとよいなぁと考えました。

 それと関係あるかがはわかりませんが、私が学生時代の経験を思い出しました。学生時代、自己嫌悪に苦しんでいたことです。いま振り返って、どうしてそのような感情に苦しんでいたかというと、「何かを成し遂げなければ自分には生きている意味がない」という価値観を強く信じていたからです。

 大学院に入学してから、 そのような価値観の下、周囲と自分を比較し、「自分はダメだ」という感情がもっと強くなりました。 とても辛かったのは、 「自分はダメだ」という思いを募らせると何もできなくなることです。頭の中でぐるぐると「自分は駄目だ」という言葉を繰り返しながら、時計を見つめて、時が流れるのを待つことしかできませんでした。

 聖書には「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」(マタイの福音書19章19節)という言葉があります。 そもそも「自分を愛する」というのは、難しいと私は感じています。そこには、常に自己中心の問題があると思うのです。 「自分は駄目だ」と落ち込む時、 自分を愛してくださる神様を差しおき、自分の価値判断を固く信じていることなります。そういう意味では、自己嫌悪もまた一種の自己中心です。

 私がそのような 自己嫌悪から解放されるためには、自分の言葉ではなく、 人に祈ってもらうことが助けになりました。たとえば、教会でお互いのために祈る時間。初めて人と一緒に祈った時、とても恥ずかしくて、自分の内面の問題を話すことができませんでした。 それでも人に祈ってもらった後、なぜかは分かりませんが 、自己嫌悪が和らいだ気がしました。

 今でも、自分がしょうもない人間だと感じる時があります。でも、人に祈ってもらった時に「はっ」と気がつくのです。 自分が、自分の醜さとか幼さとか弱さばかりを見ていて(自分ばかりを見ていて)、 私を愛している神さまのことを忘れていたことに気がつきます。

 私にとって信仰とは「自分を主語にするのをいったんやめる」ことです。 「神さまが」私を作ってくださった。 「神さまが」私を愛してくださっている。 「神さまが」必要なものを備えてくださる。自分の至らなさではなく、 神さまのすばらしさに目をとめる。

 あなたはどうですか。あなたのことを覚えて祈っています。今週も神さまの祝福があなたにありますように。

2月3週目:山の上に立って、遠くを見渡すような。

 今週は、随分と暖かい日が増えました。いかがお過ごしでしょうか。

 私は、今週の日曜日、朝から教会学校に参加しました。中学生はみんな、よく笑っていて、質問が出ました。再来週の日曜日は、私が教会学校での先生を担当します。

 それで、今週は、仕事中にも、気がつくと、教会学校で話す内容を考えてしまいました。いけない、いけない。それでも、うまくまとまりませんでした。

 自分が中学生なら、どういう風に話してもらいたいだろう。「あぁ、今日は来てよかった。明日から頑張ろう」と思って帰ってもらえるでしょうか。

 一方的な価値観の押し付けではなくて。心から「これ、もっと知りたい!」と思えるような。山の上に立って、遠くを見渡すような見晴らしのよさ。

 少なくとも私の場合、そういう時に楽しさを感じます。そういう楽しさを伝えられるとよいのですが。

 「数学は……楽しいです」テトラちゃんがノートをめくりながら言った。「村木先生のカードは感覚的にすごく―ええと、なんていうか、オープンなんです。これで好きに遊びなさいって言われているようで」

 テトラちゃんは夢を見るような口調で続ける。

「だいぶ以前の話ですが、あたしが《先輩から数学を教わっています》って話したとき、村木先生はこうおしゃったんです。《カードをあげるから、ときどき来なさい》って……あたし、思いました。あたしに渡された一枚のカード……この数学的素材から、どんなおもしろいものを見つけられるかは、あたし次第なんだ―って」

テトラちゃんはひとりでコクコク頷く。

「あたしが、大学に行きたいと思ったのも同じころでした。あっと―ちょっと違いますね。あたしは、大学に行きたいわけじゃないんです。そうじゃなくて、あたしは―あたしは学びたいんです。せっかくこの世に生まれたのですから、しっかり学び、いったいどこまで人類がたどりついたのかを見とどけ、そして、あたしなりの一歩、ほんの小さな一歩でいいので、それを進めたい―と思うんです」*1

2月2週目:淡々と明日一日を

こんにちは。いかがお過ごしですか。

今日は、ずいぶん暖かいです。今週は、毎朝、教会に行けたわけではないのですが、 それでも教会に行ける日の朝は、心地よく目が覚めました。

また、今週は、ほとんどの日に、定時で家に帰ることができました。 定時で家に帰ると、掃除や洗濯が落ち着いてできます。 また、本を読んだり勉強する余裕もあります。 最近、PCディスプレイを購入しました。 23インチで一万数千円でしたが、とてもよい買い物でした。 画面が大きいと文字が読みやすく、格段に疲れにくいです。

一方で、今週は、人間関係で悩んでいました。 仕事中にも、悩みが頭から離れず、こっそりメモ帳に感情を吐き出しました。 苛々を仕事に持ち込むのは、へんですよね。 負の感情も否定せず、吐き出して、 自分の感情のケアをするのも大切だなと感じました。

悩み事を通して、主が何を示してくださるのか。 期待をもって、淡々と明日一日を歩めるように。

あなたにも神さまの祝福があるように、祈っています。

2月1週目:海でもみながら、気楽にいこう。

こんにちは。いかがお過ごしですか。 こちらは、先週も寒く、また雪が降りました。 「また積もるのかな?」と思いましたが、 電車も止まることなく動いてくれました。

先週は、あまり朝の教会に出ることができませんでした。 寝坊したり、夜遅くまで起きている日が多かったのです。生活リズムや優先順位が変わりつつあるのかもしれません。 もう一度、生活週間を見直してみようと思います。

きちんと掃除や洗濯や睡眠ができない時間まで、 会社に残るのは避けた方がいいかもしれませんね。

目の前の仕事をこなすことだけに熱中すると、 神さまがともにいてくださると感じなくなっています。 そして仕事が終わってから、「あぁ、そういえば今日は仕事中祈れなかった」と思うのです。

「仕事で成功したい!」とか、 そういう欲に流されやすいのかもしれません。 そういう弱さがあるのは仕方がないですが、 仕事中も祈る余裕をもっていたいなぁ。 今日はぼーっと海でも見つめながら、 一週間を振り返ってみようと思います。

どうぞ、今週も素晴らしい一週間となりますように。お祈りしています。

海はもの欲しげなものや欲張りや、焦っているものには何も与えなくて、地面を掘りくり返して宝ものを探すというのはせっかちであり、欲張りであるのみであるのみならず、信仰がないことを示す。忍耐が第一であることを海は我々に教える。忍耐と信仰である。我々は海からの贈物を待ちながら、浜辺も同様に空虚になってそこに横たわっていなければならない。 *1

*1:p15, アン・モロウ・リンドバーグ,『海からの贈り物』

1月4週目:満員電車の祝福

 こんにちは。いかがお過ごしですか?こちらは、今週はとても寒い一週間でした。東京では、月曜日に雪が降りました。東京でこんなに雪が降るのは珍しいそうです。会社では、同僚が雪だるまを作っていました。ただ、雪の影響もあり、今週は電車の遅延や運休の多い一週間でした。

 普段、私は朝早くに家を出るので、満員電車とは無縁です。しかし、今週は満員電車に乗りました。とてもいいなぁと思ったのは、電車の中でゆっくりと祈ることができたことです。普段、電車に乗る時は、スマホか、本を手に持っています。しかし、満員電車だと、手も動かせません。なので、ゆっくりと神さまに祈る時間を持つことができたのでした。

 雪のせいではないと思いますが、今週は、仕事でも混乱することがありました。やることが雪だるま式に増え、優先順位をつけられず、フリーズしてしまったのです。忙しくなると混乱します。それで、神さまに祈りました。どこかに解決策を求めにいったり、自分を責めたりするのではなくて、神さまが答えをくださると信じて、自分は目の前の問題をこなせるように。

 あなたは、どうでしたか。今週はどんな一週間でしたか。いつも神さまが助けてくださるように。祈っています。