6月5週目: 信じます。不信仰な私をお助けください。

 今週も終わる。蒸し暑さが増し、洗濯物の乾きが遅くなった気がする。入社してもう3ヶ月。時が経つのは本当早い。

 今週は、仕事で苛々することがあった。先輩からのアドバイスに苛立ちを感じた。先輩の指摘は、とても丁寧で正しいものだった。それでも、苛立ちを感じた。 

 仕事で苛立ちを感じるのは、自分の中心に仕事を置いているからか。「うまくやりたい」「成功したい」「これくらいできるはずだ」・・・そういう期待。そして、期待外れの現実に直面すると、苛々する。

 信仰をもった後、勉強や仕事を通して「自分が優秀である」と誇示しなくてよいこと、自分の弱さを鎧で固め、他者に承認を求めなくてよいことがわかった。私は、自分に残された人生の時間を、神様を中心に据えて過ごしたいと思う。

 なのに、現実には仕事や将来のことで苛々したり、不安になったりする。変わらぬ神の愛を信じたいと願っても、外の環境や感情の変化に惑わされるのが現実である。

 水曜日、いつも通り教会にいった。そういう悩みで頭がいっぱいだった。キリスト教徒にとって、私の悩みはよくあるようで、偶然にも、同じような仕事の不安について、話を聞く機会があった。

 帰り道、ふと、聖書の一節を思い出した。悪霊に取り憑かれたという息子を持つ父親が、イエスのもとに来て、助けを求める場面。

「この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もしおできになるものなら、私達をあわれんで、お助けください。」

 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」

するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」

(マルコの福音書9: 22-24)

「信じます。不信仰な私をお助けください。」あぁ、今の自分と同じ気持だと思った。すこしだけ、ほんの少しだけ、この言葉の意味がわかった気がした。

  仕事について不安や悩みを持つ方は、私だけではないでしょう。どうぞ、あなたにも神様の祝福がありますように。お祈りしています。